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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。


2012年1月21日(土)に静岡県男女共同参画センター「あざれあ」にて開催された「さくやな祭り」にて、
「さくや姫」と「さくやな人々」によるトークLIVEが2本立てで行われました。
テーマは Part1が「夢」、Part2が「まち」。
それぞれの分野で羽ばたく6人の「フロントランナー」たちとともに、
未来の静岡と、そこで生きる子どもたちのために、今できることを考えました。




トークLIVE Part1:テーマ「夢」

それぞれのフィールドで、まっすぐに夢を追う3人。本当に好きなもの、大切なものをどうやってみつけたのか。
続けていくための努力とは。そして、これからすすみたい道とは。


松野下琴美(まつのした・ことみ)


「somaプロジェクト」メンバー、環境NGO Cordillera Green Network 日本支部長、「世界未来予想図プロジェクト」静岡支部長。焼津市出身・在住。2008年、大学を1年間休学しフィリピンの山岳地帯で生活。現地で子どもたちの環境教育に携わる。その他、講演会やイベントの企画、子どもたちが描く未来の絵を集め展覧会を開くチャリティ活動「世界未来予想図プロジェクト」、国内の木材の「地産地消」を推進する「somaプロジェクト」など、国内外で環境活動を展開する。

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勝山康晴(かつやま・やすはる)


ダンスカンパニー「コンドルズ」プロデューサー、ロックスター有限会社 取締役。藤枝市出身、東京都在住。学ランを着た男性だけでダンス、映像、コントなどを展開する舞台で人気に。これまで世界30ヵ国以上で公演。バンドプロジェクト「ストライク」ではボーカル、作詞・作曲担当。桐朋学園芸術短期大学ステージクリエイト専修非常勤講師ほか、静岡のご当地ダンス「南アルプスダンス」プロデュースなども行う。著作に『コンドルズ血風録』(ポプラ社)がある。

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半田悦子(はんだ・えつこ)


常葉学園橘高等学校 女子サッカー部監督、サッカー元日本女子代表。静岡市(旧清水市)出身・在住。1981年、サッカー日本女子代表1期生に選出、96年まで16年間代表としてプレーする。ポジションはフォワード。初めて女子サッカーが正式種目に認められた第11回アジア競技大会、第1回FIFA女子ワールドカップ、アトランタ五輪などに出場。1995年、第2回FIFA女子ワールドカップベスト8。2011年、女性2人目のJFA公認S級コーチライセンスを取得、次世代の育成に力を入れている。

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夢をもってそれぞれのフィールドで前進し続ける

フィリピンの子どもたちへ伝える、環境のこと(松野下)

松野下: 私、大学は静岡県立大学だったんですけども、在学中にフィリピン語を専攻していたんです。大学3年のときに休学して、現地で活動する環境NGOに1年ほどお世話になりました。その中で水力発電ですとか、バイオガス――ブタや牛の糞を使って燃料を作るシステムのモデル作りなどを行いました。あとは、環境教育ですね。森林伐採が行われた土地で植林をする意味ですとか、どうして木を植えたりしなくてはならないのかということを、フィリピン人の子どもたちに伝えるという活動をしていました。

その中で「未来予想図」というプロジェクトが立ち上がりました。フィリピンの子どもたちの絵を日本で展示するという活動が新潟で始まったんです。私が引き継いで、最初はフィリピン、その次はタイ、今年がネパールという形で、今年で3年目になります。日本に帰ってきてからは、フィリピンの木を切らせないためには、フィリピンの安い木材を消費している日本で木を切らなくちゃいけない。もっともっと日本の木を使わなくちゃいけないんじゃないかということで、「somaプロジェクト」をスタートしました。ヒノキで作った「ひのまろ」君と、スギで作った「すぎまろ」君という小さな木の球の販売と一緒にリーフレットをお渡しし、啓発活動のようなことをしています。どうして日本の森がこんなに使われなくなってしまったのか。もっともっと健康な森を残すためにはどうしたらいいんだろうということを伝えようと、活動を続けています。

自分で言うのもなんですが、人気があります(勝山)

勝山: このところ毎年、静岡市民文化会館で公演をやらせてもらっていまして。あと、焼津の文化センターでも。コンドルズは、男性だけで学ラン着て踊るっていう、ちょっと不思議なダンスカンパニーなんですけども。皆さんね、そうは言っても結構知っているんですよ、我々のこと。というのは、NHK連続テレビ小説「てっぱん」のオープニングのダンスって流行ったじゃないですか。あれ振付けているの、うちなんですよ。それに、NHKの子ども向け番組でやっていた「こんどうさんちのたいそう」っていう不思議な体操。今だと、「みいつけた!」って番組の「オフロスキー」っていう、ちょっとした人気キャラがいるんですけど、これもうちのメンバーで。テレビでも少々活躍させてもらいつつ、本業は舞台です。一応、世界30ヵ国くらいで公演をやっていまして、大体年間2万人から3万人くらい人を呼べるんです。東京の渋谷公会堂も超満員にしたり。自分で言うのもなんですけども、なかなか人気があります(笑)。

それと並行してバンドもやっていまして。僕がボーカルをやっています。一時期メジャーデビューもしたんですよ。TVCMのタイアップをとって、日産とかカルピスのCMとかもやったんですけど、全然売れませんでした(笑)。で、契約も切られて。それでもバンドを続けています。あとは、大学で講師をしたり、本も出しています。そんな感じで、いろんなことをやってます。

引退しても好きなサッカーから離れられず(半田)

半田: 私は、清水生まれの清水育ちで。小学校3年生からサッカーを始め、あれよあれよと言う間に日本代表になり、16年間日本代表でプレーしました。その間に、今本当に有名になってしまった澤穂希さんと3年ぐらいご一緒させていただきました。私はまさか、女子サッカーにこんな時代が来るとは思っていなくて。今CMの話が出ましたけど、最近、人権週間のCMに1週間ほどちょろっと出させてもらったんです。まさか、自分がCMとか新聞の一面に出させてもらうなんていうのは……選手のときでさえなかった(笑)。なでしこブームのおかげでこんなに女子サッカーに注目していただけて、ほんとにありがたいことだなと感謝している限りです。

私はサッカーを辞めてからも、やはり好きなサッカーから離れられませんでした。指導者になり、橘中で7年間、1期生から指導しまして、今年の4月から橘高校の監督になりました。橘では、女子サッカーはできるだけ県民性をなくさないようにということで、今のところ寮も持たず、通える範囲で選手を集めて指導しています。いい選手がいたら、ぜひ教えていただきたいと思います(笑)。


現在の夢または目標は?

「More tree Asia/Less tree Japan」(松野下)

松野下: フィリピンに住んでいたときに、土砂崩れがとっても多かったんですね。自分が通った道が5分後に崩れて、5分遅かったら死んでたなって状況も何回も経験しました。戦後、日本は東南アジアの木をどんどん受け入れ、フィリピンはどんどん木を切って輸出した。で、今フィリピンに何が起こっているのかといいますと、戦後50%だった森林面積が、14%以下にまで落ちています。フィリピンの皆さんは焼畑農業をやるんです。どんどんどんどん山を切り開いて。フィリピンは台風がたくさん来る国ですよね。そうすると、台風で土砂崩れがバンッと起きる。そして、1回の土砂崩れで100人や200人が亡くなるんです。

そういう状態を見てきましたので、もっともっとフィリピンで「理由をつけた植林」の意味を伝えなければと。森林農法――「アグロフォレストリー」と呼んでいますけども、私たちのNGOでは、コーヒーや果樹を植えてくださいと。5年待ったら、それが換金作物になる。皆さんも森も豊かになって、子孫に残せる森ができるんだよっていうことを伝えながら、やってきました。日本においては、やっぱりもっともっと私たちの木を使わなくちゃいけないなってことを感じていますので、somaプロジェクトという形で広げていきたいなと考えています。それが私のここ最近の夢、または目標という感じです。

「アニメの声優になるか、ガンダムの主題歌を歌う/ダイエットに成功する/今の活動を死ぬまで続ける」(勝山)

写真提供:ロックスター有限会社
松野下: 勝山さん、いろいろ書いていますけれども。
勝山: 僕ほんとに、子どもの頃から「ガンダム」が大好きで。バンドでメジャーデビューできたとき、ソニーグループからデビューしたんですよ。ソニーグループって、ガンダムに強いんですよね。で、「おれ、いけるかな」って思ったんですけど、その前に契約切られたんです(笑)。でも、生まれてきたからにはいちばん好きなことを貫きたい。今、僕は舞台活動とかバンドとか、やりたいことをやれているんですけど、アニメ関係がね、参与できていないんです。残りの人生の中で、どうしてもアニメに関わりたいんです。これが1つ目。2つ目の「ダイエットに成功する」は、現在の夢ですね。30も過ぎてある程度年をとってくると、あきらめがちになるんですよね。でも、自分の黄金期ってないですか? 「あのときの私、いちばんすごかった」というような。もう1回あのときの体形とか、いろんなものを取り戻してみたいなって思うんですよ。もう1回、挑戦したいなと思っています。なので今、ダイエットに挑戦していますね。

で、3つ目。今やっている舞台、バンドなどのいろんな活動を死ぬまで続けること。僕にとって、舞台やったりバンドやったりってことは当たり前のことなんですけど、これを死ぬまで続けるとなると、なかなか大変なんですよ。人気商売ですから、人気が落ちるってことは多々あるんです。でも、それでもやっぱりね、あきらめないで、死ぬまでとにかくおれは続けたと。それが今いちばんやりたいことですね。

「生きる力/なでしこへ/日本一」(半田)

松野下: 半田さんも3つ書いていただいてますね。
半田: まず、うちの選手に対しては、まだ中高校生なんで「生きる力」というか、何にでもへこたれない精神力をつけてもらいたいというのがまず1つ。それと、「なでしこ」には今、1人も静岡県出身の選手がいないので……。
勝山: へぇー。
松野下: うん、意外ですね。
半田: U-16(16歳以下)とか、U-19(19歳以下)にはいるんですけども、日本女子代表(なでしこ)に現在いないっていうのは、私としてはショックで。将来的には、絶対なでしこに静岡県の選手に入ってもらいたいなと。そして、チームとしての日本一。先日の大会(JOCジュニアオリンピックカップ 全日本女子ユース(U-18)サッカー選手権大会)で、おかげさまで3位になりましたが、やはり日本一の壁はかなり高いです。それでも、何年かけても一度はいってみたいなっていうところです。


きっかけは何でもいい。続けることが大切

「流されちゃいけない」ってあれ、嘘なんですよ(勝山)

松野下: 私たち3人、夢や目標をもつに至るまでに、様々なきっかけがあったと思うんです。私は、たまたまフィリピン語をとって、たまたまフィリピンにいったときに声をかけられて、現地で暮らすきっかけがあって。そこで、いろんな村の人たちに会ったり、自分が土砂崩れを経験したりっていうことがあって、今の森林活動に結びついていったわけです。
勝山: 僕はなりたいものがなかったんですよ。中高生くらいだと、先生たちが聞くじゃないですか。「将来の夢は何ですか」って。あれがほんと苦手で。苦し紛れに「ガンダムのパイロット」とか「ルパンファミリーを作りたい」なんて言っていました。でも、高校2年生くらいのときに、パンクロックに出会うんです。それ見たときに初めて、こういう大人になりたいって思ったんですね。バンドで生きていきたいなって。で、バンド組むために大学にいったんですけど、なかなかいい仲間に巡り会えなくて。そうこうしているうちに、人は恋をするのですよ。 恋をしちゃった相手が、たまたまダンス部にいたんですね。でも僕、ダンスって全く興味がなくて。それでも、その子がダンス部にいたら、もう入るしかないですよね(笑)。じゃないと近づけませんからね。なので、入った。そうしたら、そこにとんでもない、濃い先輩たちがいて。そのおもしろい人たちと、ズルズルと就職もせずにいるうちに、今に至ってしまったという。完全に流されたんですね。でも、バンドもちゃんと続けました。続けていたから、最終的にメジャーデビューするんですけど。ただ、メインの仕事になっているダンスは、やりたくて始めたわけじゃない。恐ろしいことに。その子と付き合うためだけ。
松野下: 好きな子に近づくためだけにダンス部に入ったと?
勝山: そうそう、それだけです。ただね、その子とは付き合うことができたんですよ。53回くらい告白して。やりたくないことまでやって、しかも何度も何度も告白してるから、1回くらいは成功するんだなと。くじけちゃダメだって、そういうところで学びましたね(笑)。
松野下: 出会い、巡り合いですね。
勝山: よく「流されちゃいけない」って言うじゃないですか。あれ、嘘なんですよ。ときどきはね、流された方がおもしろいことが待っている。人って、ついしがみつきがちなんですが、ぱっと手を離してみると、意外とおもしろいところにたどり着くことってあるんです。自分の予測しないところに行けることが。

初めから目標があったわけじゃないんです(半田)

半田: 私は、今は死語だと思いますけどお転婆で。何か運動したいってときに、ミニバスかサッカーしかなくて。それで、手か足かみたいな感じで、自然とサッカーを始めて。当時から清水はサッカーがとても盛んで、小学生の女子リーグがあったんです。といっても、小学生の頃は、なでしこリーグとか日本代表とか、全国一を決める大会もなかったので、ただ友達と遊びにいく感覚です。遊びにいって、どんどんどんどん、友達が増えていって。それが私にとってのサッカーでした。でも、やっていくうちに日本一を決める大会ができて、日本一になりました。日本一になったら、今度は初めて日本代表が結成されます。あ、じゃあがんばろうとやっていくうちに、アジアの正式種目になりました。ワールドカップもできた。ついには、オリンピックの種目にもなった――。

初めから目標があったわけじゃないんです。スタートは、人と出会って、仲間と一緒にサッカーをしたいっていう気持ちだけ。その後から目標がどんどんできてきて、自分でそこまでやりたいなって。それで長くやってきました。大学受験のときには、大学も東京のほうでとか、いろいろ考えたんです。でも自分たちの「清水第八」っていうチームから離れたくないばっかりに地元に残ったという。それもやっぱり、仲間から離れたくなかったっていうのかな。とにかく、サッカーで生活するというようなことが目的ではありませんでした。
松野下: 目標が後からできてきたっていうことですよね。私、高校時代に陸上球技で円盤とハンマーと砲丸と槍を投げてたんですけども、そのときは常に県大会、東海大会、全国大会っていうのが決まっていた。すごくそこに向かっていく気持ちが強かったんですけども、半田さんの時代はそういう目標がなかったっていうことですね。
半田: なかったです。もう辞めようかなって思ったときに、ワールドカップができ、また辞めようかなって思ったときにアトランタ五輪ができて――。私はいつまでサッカーをやるのかなって。結局、31歳のときのアトランタまででしたね。今、澤さんは当時の私の年齢を超えたんですけど、すでに超ベテランです。いつまで続けるかは、年齢的には微妙なところ。それでもいろんなことを乗り越えて、続けているのだと思います。

死ぬほどおもしろい舞台に巡り合ったら、辞めます(勝山)

勝山: 僕もそれ、わかる気がします。30歳って、舞台をあきらめる時期なんですよ。僕らも、ダラダラやってもしょうがないから、このオーディション落ちたらやめようぜって雰囲気になったことがあります。でも、そういうときに限って受かるんですよね。で、受かってちょっと人気が上がるけど、また頭打ちとなってそろそろ……ってなると、急にテレビの番組に呼ばれたりして。
半田: もちろん、自分の意思もあるんですけど、それ以外に巡り合わせとか、なにかのきっかけもある。私のサッカー生活も、始めのうちは趣味。1日会社で働いてから夕方練習、週末に試合という感じでずっとやっていました。でも、それがだんだん「仕事は半日でいいよ」とか、最後の方はプロ契約をして、「サッカーだけでいいよ」なんて言われたら、余計に辞められなくなっちゃう(笑)。
勝山: 理由がないですよね、辞める(笑)。
松野下: 勝山さんは、興味がなかったダンスを辞めずに今でも続けているというのは?
勝山: 舞台を始めると、いろんなものを観に行くじゃないですか。行くんですけど、たいがい、つまらないんですよ。僕にとっては、本当につまらなくて。観たものが全部こんなにつまらないんだったら、自分でもっとおもしろいもの作っちゃえばいいじゃんって思うわけですよね。で、作り出したら、それがまあ当たったと。未だにいろんな舞台を観ますけど、やっぱりつまらないです。たぶんですが、「あ、この舞台死ぬほどおもしろいや」っていうものに巡り合ったら、辞めますね。完全に負けたって思ったら辞めますけど、いつまでたっても、何観てもつまらないんです、僕は。バンドもメジャー契約を切られようがやっているのは、どこかつまらないからです。たとえば、僕の欲望とか、いろいろもっているものを完璧に体現してくれるロックバンドがいたら、僕はもうやる必要がない。
松野下: なかったら作ってしまおう?
勝山: だって今なら、何でも作れるんですよ。パソコン1台あれば、何だって作れます。映画だって、音楽だって。作る気になれば、自分で、今。だから、なんでみんなやらないんだろうって。思うだけで、みんな満足していればいいんですけど。
松野下: 勝山さんにとって音楽やダンスは、呼吸すること、ご飯を食べること、おトイレにいくことと同じだって、前におっしゃっていましたね。
勝山: そうです。皆さん、起きたら歯を磨くじゃないですか。その日常感覚と全く同じで、特別なことではないですね。僕にとっては。

15年の間に仲違いや大ゲンカもいっぱいありました(勝山)

写真提供:ロックスター有限会社
松野下: でも、コンドルズを結成されて5年間くらいは、あまり踊ってらっしゃらなかったんですよね?
勝山: そうですね。ダンスは相変わらず嫌いだったんですけど、公演中に踊らなければいけないシーンはあるんですよ、みんなで。そのときにたまたま、ある踊りの技をやって、初めてダンスっておもしろいって思ったんです。そこからはね、ある程度頑張ってやっています。ダンスを始める以前は気づかなかったことですが、みんな、大学とか学校を卒業すると、体を動かさなくなりますよね。マラソンとか、あまりしないでしょ? でも、細胞の数って、頭の中より体のほうがずっと多い。それを全然使わないというのは、すごくもったいないですよね。ダンスって、不思議なんです。日常的な動作とは全く異なるものが、体の中に基本としてインプットされているのって、すごくおもしろいですね。ああ、自分の体ってこんなに豊かだったのかって。

コンドルズって、今年で15年目なんです。舞台で同じチームで15年って、あまりないんですよ。みんな解散しちゃうんですよね。売れてくる人がでてきてバランスがとれなくなったり、やりたいことが変わってしまって解散するケースってすごく多いんです。ただ、うちの場合は、劇団じゃなくてダンスカンパニーなんで。踊るんです。汗かくんですよ。15年の間にものすごい仲違いとか、大ゲンカっていっぱいあったんですけども、汗かくってものすごい効用があって。始まる前までケンカしてたのに、2時間ぐらい踊ってすごい汗かくと、終わったあとには「イェーイ」ってなる(笑)。これ不思議なんですよ、ほんとに。汗かくとなんか、ある程度いやなものとか出るんですよね、不思議なことに。
半田: そうですね。チームでいろいろ揉め事があっても、大会でいい成績収めたりすると、今までのことって何にもなくなりますからね。
松野下: 今サッカーをやっている中学校、高校の学生さんたちと、現役当時のご自身やお仲間との違いってありますか?
半田: 基本的にはそんなに違いはないと思いますね。でも、うちに来る子って、小学校のときからチームの中心選手だった子が多くて。気が強いというか、意思を主張する人間が非常に多いんです。そうすると互いに主張し合うので、最初はすごく揉めるんですね。いろんなことが問題になるんですけど、年齢とともにいろんなことを覚えていきます。これを言ったら相手が嫌な思いをするんじゃないか、とか、言葉の使い方とか。やっぱり人と生きているので。いろんなことを仲間とともに勉強していくのかなあって思いますね。

何もわからなかったけれど、必死でした(半田)

松野下: 半田さんは、女性の指導者の中では、今3人しかもっていないS級ライセンスをもっていらっしゃるんですよね。
半田: そうですね。これをもっているとJリーグチームの監督もできるんです。オファーさえあれば、「エスパルス」の監督をする権利もあるんですよ。
勝山: すごい!
松野下: S級は、その下のランクのA級とは全然違ったものなんですよね?
半田: 私、これまでにないくらいに追い込まれて。中学生を教えていた私にとっては、速さとか、レベルが全く違っていたので。暗いトンネルから抜け出せるのか。本当に自分にS級が取れるのかって、わからなくなるくらいに追い込まれて。
松野下: きっかけはあったんですか? すでにA級ライセンスをもっていながら、そこからさらにS級を目指すってことに。
半田: 行き詰まりを感じていたからですね。大会ではいいところまでいくけれど、どうしても、優勝することができなかったから。
松野下: 教え子は中学生とか高校生ですよね? そこから男性のプロも教えられるライセンスをとろうと思うってすごいことですよね。
半田: それは、自分が指導者として生きていこうと決断したことが大きいと思います。指導を始めた頃には、サッカーを教えることで生活ができると思っていなかったので。それが、仕事としてできるようになって、やっと腹を括れたんですね。S級の講習では、男性と一緒にサッカーをしなければならないので、今しかないと思いました。若いうちにとらなければ、と。何もわからなかったけれど、必死でした。でも、こちらが必死になれば、周りの人が助けてくれるんですね。25人の受講生のうち女性は2人だけだったのですが、男性がこんなに優しいと思わなかったです(笑)。私は女性ばかりの中で生きていたので、男性の中に自分がいるっていうことがなかったんですね。いろんな男性とこんなにサッカーの話をしたり、人として付き合えたというのは貴重な経験でした。
勝山: 世界には、男子のプロリーグで女性が監督のチームはあるんですか?
半田: イタリアのセリエAで以前、女性が監督、コーチをやったことがありました。すぐに解任されてしまいましたが。今は、スペインで、日本人の女性で男子高校生を教えている方がいたりします。最近は増えてきていると思いますね。
松野下: じゃあ、きっとこれからもありますよね。なでしこが世界一になったことで、たくさんの子どもたちがサッカーをやってみたいと思うでしょうね。私は、円盤投げをやっていたとき、室伏由佳さんが日本記録をもっていたので「由佳さんみたいに投げたい」と思って筋トレしてたんですよ、「バーッ」って。そんな子どもたちがどんどん増えると思います。
半田: そうですね。皆さん、彼女たちのサッカーに対する純粋さや必死さ、あきらめない姿勢に賛同してくださったと思うんですよね。これだけ皆さんに女子サッカーを知ってもらえたことは、本当に素晴らしいことです。選手ももちろん増えると思いますし、指導者も女性がすごく増えてきて。以前は知り合いしかいなかったのが、女子サッカー界も広がってきたなと感じますね。これから、このなでしこブームをブームで終わらせないためにも、オリンピックでメダルを獲ってくれたらいいなって、本当に思います。

なるべくダメな舞台をやりたいです(勝山)

松野下: 勝山さんは今、静岡のご当地ダンスを作ってらっしゃると聞いたんですけども。
勝山: 僕は静岡を出て東京に行って、結局東京で暮らしているんですけども。実家に帰ってくる機会が増えてくると、だんだん地元のことを考えるようになるんです。そうすると、「なんか、東京文化に汚染されてるなー」と思うわけです。たとえば福岡には、福岡だけで5,000人入る劇団があるんですよ。5,000人って、福岡でいうとすごいことなんですよ。札幌にも「チーム・ナックス」っていう、大泉洋さんが出た有名な劇団があります。あそこも2万人とか、札幌だけで入っちゃうんです。そういう人たちがいるわけですよね、札幌と福岡には。そういうのを見ると、「そろそろ静岡じゃね?」って。静岡で何かできないかなと思ったんです。それで、何か企画を立ち上げたいと思っているところに声をかけてもらって。小さな一歩からってことで、「南アルプスダンス」というご当地ダンスを作りました。次のプロジェクトも立ち上がってるんですが、徐々にそういったものが作れればいいなと思うんですよね。何もかも、東京任せっていうのはやめようと。

ダンスっていえば、最近「Shall we ダンス?」という映画を観たんです。今更ながら。すごくいい映画でしたね。何がよかったかというと、同じなんですね、僕と。主人公が素敵な草刈民代さんに憧れていきなりダンスを始めちゃったっていうところが。「ダンスやるぞ」って決意しなきゃ始められないというのでなくて、よこしまな気持ちからでも物事はスタートできるんだと紹介されているところがよかった。たいがいのことであれば、やっちゃいけないってことはないなっていう気がするんです。たとえば、サッカー人気で「私もやりたい」って思う子がいるのと同時に、「私には無理」って思う子も結構いるんじゃないですか? 逆に、人気がありすぎて。
半田: そうですね。ちょっと引いちゃう子もきっといると思います。あと、やりたいって思って行動に出せるかどうか。環境の問題もありますし。でも、サッカーって、私は遊びだと思うんですよ。遊び感覚を忘れてしまうと、絶対つまらないと思います。勝つことばかりじゃなくて、どこかに遊び心がないと。私も、プレーしてたときは本当に楽しかったなって思うので。今でもたまにちょっとやると、教えるより楽しいわって、やっぱり思うんですよね。だから、「無理」なんて思う必要はない。ダンスは、リズム感なくてもできますか?
勝山: ええ、できます、できます。小中学校でダンスが義務化されるんですが、メインが「ヒップホップ」らしいんです。ヒップホップダンスというのは型もあるし、「これが正しい」っていう正解があると思うんですね。つまり、それにはまらないと落ちこぼれてしまう。ダンスってもっと楽しいものなのに、そこで嫌いになってしまう子が出てきてしまうと思うんです。僕らがやってる「コンテンポラリーダンス」は自由なんですよ。だから、全員が正解なんです。リズム感がなくてもそれがよかったりする。その人の個性が出ればOKなんですよ。でも、僕はそれが教育には必要なんだと思います。たとえば、踊りが生活に根付いている国では、おじさんやおばさんが平気で踊っていますよね。パーティとかで。ああいうのって、美しいと思いませんか。楽しそうだし。僕もやってみなければ気づかなかったですけど、ダンスって、誰でも踊っていいんです。それを皆さんにもわかってほしいですね。「てっぱんダンス」では、全国を巡回していろんなところでイベントをやりましたが、おじいちゃんもおばあちゃんもみんな楽しそうで。ああいうの、大好きですね。今度のコンドルズの静岡公演でも、なるべくダメな舞台をやりたいです。「こんなやつらでもやっていいんだ」って思ってほしいんですよ。それが、勇気につながったりしますから。「私もやろうかな」って気になりますから。サッカーでもね、先程半田さんがおっしゃったように、勝ち負けだけでなく、楽しむレベルでもいいから、どんどんやる人が増えてほしいと思いませんか?
半田: はい、本当に。私は、今は遊びでサッカーをやっているんですね。オーバー40っていう大会もあるんですが、「出ちゃう?」って。仲間もどんどん上に上がってきているので(笑)。今度はオーバー40で日本一を目指そうか、なんて話しています。男性でも、シニアで70歳前後でもやっている方がいて。トップを退いてもサッカーを楽しんでいる方はいっぱいいらっしゃるんです。ダンスと同じように、サッカーもいろんな楽しみ方があるんだっていうことを伝えたいですね。


夢を叶えるために必要なもの

「人からいただくパワー」(松野下)

松野下: フィリピンには部族間闘争という、自分たちの民族に誇りをもつがゆえに戦争が続いている地域がありました。私たちは、違う部族の子どもたちを集めて、今環境がどうなっているのか問いかけ、その子どもたちから引き出すということをしました。今は少し離れて、文化も違う日本で動いていますが、この地球に住み、自然からたくさんのものをもらっているという点では変わりません。とくに木からは燃料をもらっている、家具も作っている。その山や木のためにできることは何だろうって考えることは、民族も国籍も、言葉も関係ないですね。ですから、私は「伝えていく」ってことにすごく力を入れてきました。その中で、たくさんの人たちからパワーをもらいました。子どもたちからも。それは、何か事業を始めるとき、何かに取り組むとき、私が目標や夢を叶えるために必要不可欠なものじゃないかなって思っています。これまで、いろんな分野の方とお会いして、お話をすることで、自分にないものをたくさんもらいました。なので、私にとってこれは欠かせないなって思います。

「反逆心/仲間」(勝山)

勝山: 人って、水は低きに流れるというか、だんだん楽な方向を目指すんですよね。でも、そういうときに「なにくそ」っていう反逆心が重要だと思うんです。あと、皆さん、子どもだった時期があるじゃないですか。15、16、17とか。その頃ってみんな、大人は汚いと思って生きていましたよね。絶対、そう思って生きていた人がほとんどなんですよ。僕もそう思って生きていますけど、あのときの気持ちって意外と大事だって、今改めて思うんです。というのはたぶん、大人が汚いって思っていたとき、自分が大人になったらもっといい世の中にしてやろうと思う気持ちが多少なりともあったはずなんですよ。でも、大人になると忘れちゃうんですよね。日々の生活に流されて。でも、あの頃の気持ちってすごく重要。今一度、あの青臭い反逆心を思い出そうぜっていうのが、最近思うことなんです。2つ目は、「仲間」。なぜかというと、夢というのは、大体勝ち目がない。大概負けるんです。じゃあ、どうすれば勝てるか。そのとき、唯一必要なのは仲間なんですよね。仲間がいれば、勝てるんですよ。ある程度。1人じゃ勝てないことも、10人集まれば勝てるし。やっぱり、仲間に助けられることって多いです。才能なんかは一切必要なし。全くいらないですね。だから、才能があるかどうかなんて気にしなくていいです。才能なんかなくても、反逆心と仲間をもてば何とかなりますから(笑)。

「目標/仲間」(半田)

半田: 私も同じですが、やはり目標をはっきりさせることですね。細かく自分の中で整理すると、そこに進みやすくなります。あと、先程のS級の話もそうですけども、自分が困ったときにがんばれば、周りが認めてくれるんですよね。誰かが手を差し伸べてくれるんです。これは、私が選手のときもそうでした。自分がうまくいかなくても、サッカーはチームプレイなので、周りが支えてくれる。その逆ももちろんあります。ただ、自分がいい加減にやっていると、支えてくれません。私は静岡県を出たことがないのですが、その中でいろんな方に助けていただきました。むしろ、静岡県に住んでいなければ、今の生活はなかった。今、こうやってサッカーに関わっていることもなかったと思います。支えてくれているのは、小学生のときからずーっと一緒にやってきた仲間。同じ指導者になった人や、周りにいる人ですよね。最終的には、人が自分を助けてくれる。それがあれば、本当に何とかなるなって。うまくいかなくてもそれさえあれば、楽しく人生が送れるって思います。
松野下: お2人とも「仲間」ってことで共通していました。そのお仲間が集まってくるには、お2人に引き寄せられる、または人を引き付けるものがあるんじゃないかな。
勝山: いや、僕、高校時代を思い返すと、あまり友達は多くなかった気がします。今、友達がいないって悩んでいる人もいると思うし、そういうお子さんを抱えている方もいるかもしれませんけど、必ず見つかりますから。友達って。一生懸命探していれば。
松野下: 探してらしたんですか?
勝山: 探してましたね。この同じ反逆心を分かち合える友を。探してました。
松野下: きっと半田さんも同じですよね。目標を分かち合って、一緒に進んでいける仲間に出会えたことは、すごく大きいですよね。
半田: そう、自然と。サッカーのチームがあって、そこに集まって。基本的には同じ気持ちの人間が集まってくるじゃないですか。多少気持ちの違う人間がいたとしても、1つの大会に対してとか、いろんなものでぐっと距離が縮まったり。初めはいろんな人間がいますけど、サッカーを通じて1つにまとまる。
勝山: スポーツっていいですね。試合があって、勝ち負けがあるから、結果も明快で。
半田: そうですね。ただ、指導者になってすごく思うのは、勝っても「もう少しああすればよかったな」とか。負けたけどすごくいい試合をしたと思うときもあれば、圧勝しても「今日変だったよね」ということもある。勝っても負けてもすっきりしないんですね。ダンスでもそうだと思いますが、自分で「ああしたい、こうしたい」ということが次から次に出てきて、終わりがないからだと思うんです。だから、いつもいつも進んでいるって感じはしますね。どのチームも優勝を目指すわけですよね。でも、優勝できるのは1チームだけ。それを考えると、やっぱり過程がすごく大事だなって。結果は後から付いてくるものだと思います。1番になることってすごく大事ですけど、でも、ならなくてもいろんなことが経験できたり、いろんな感覚が残る。子どもたちが大人になっていく上で、いろんなものがそこで芽生えていくんだなと思います。

※対談の内容には個人の見解が含まれます。
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